NPO:特定非営利活動法人国際プレゼンテーション協会
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プレゼンテーションって何?

 弊協会の提言に関する詳細内容およびお問い合わせについては、当協会の事務局までメールでお問い合わせください。



提言(10):2011年9月1日

事業仕分けにプレゼン力を!

 東北大震災復興資金のための増税が取り沙汰されている。近々に事業仕分けがおこなわれる可能性があるだろう。これまでの事業仕分けに対しては協会としていくつかの問題を提起し指導をおこなってきたが、改めてこの事業仕分けをより生産的におこなうための提言を示したい。
 
1.シナリオ力(伝える内容と順序)
 これまでの事業仕分けでは、仕分ける方も仕分けられる方も、何を伝えようとしているのか非常に分かりにくい。お互いによく分からない話の空中戦を繰り返し、時間切れで仕分け人が強引に決定する。その結果、決定事項に納得感がなく実行に移されないことが多々ある。その最大の原因はシナリオ力の不足だ。
  多くの話し手(仕分け人も仕分けられ人も)は頭に浮かんだことを、浮かんだ順番に話をする。これでは聴き手は多大な努力と苦痛を強いられることになるだろう。聴き手は途中で聴くことをギブアップするか、それとも次に自分が何を言うかを考えることに気を取られてしまう。 あるいは、習慣的に起承転結で話を組み立てようとする。起承転結だと「結論」は話の最後になり(あるいは、話しているうちに結論がどこかへ吹っ飛んでしまう)、聴き手は結論までの非論理的な話を長々と聴かされることになる。そうなれば、お互いの意志疎通はまったく達成されない。
 シナリオは「結論→理由→結論」で組み立てることだ。最初に結論を述べることにより、伝えたい内容がお互いに明確になる。そして理由を述べることによって話は論理的になる。お互いに自分の主張は「結論→理由→結論」で述べることだ。
 
2.質疑応答力
 仕分け人が質問をする場合も同じように、質問内容にいたるまでの経緯や理由などを延々と話すことが多い。あるいは仕分け人自身が何を問いたいのかわからないまま質問をし始めることも希ではない。
 仕分け人は質問内容を明確にし、質問から始めることだ。ストレートに、たとえば「なぜ、一般会計化できないのか?」などと。質問に至る経緯や理由は、相手の答えを聞きながら必要に応じて話せばいい。
 それに多くの仕分けられ人は、質問の意味がわからないまま何とか答えようと努力するが、質問と答えが噛み合っていないことが多々ある。理解不足のまま答えると、質問者にしてみれば意図的にはぐらかされているのではと疑心暗鬼になる。それに言わなくてもいいことまで言ってしまう危険性もある。
 質問を正しく理解することが重要だ 。まず相手の質問を繰り返すとか要約するなどで相互理解を確認する。そして、特に攻撃的な質問に対しては、たとえば「それは非常に重要な点です」などと、質問を褒める。そうすれば相手の攻撃も弱まるというものだ。

3.デリバリー力
 仕分け人も仕分けられ人も、実際のやりとりの場面では多くの問題が噴出する。たとえば、机に寄りかかったり、猫背の姿勢だったり、とにかく姿勢が悪い。姿勢は人格を表すわけだから、正しい姿勢で話をすることだ。
 また 配布資料にたよりすぎる結果、お互いに目線が合わず全員が下を向いてコミュニケーションを図ろうとしている。これでは、円滑な意志疎通は生まれない。人と人のコミュニケーションを書面に頼りすぎる弊害だ。
 さらに、マイクの持ち方も顕著な問題だ。日頃、マイクをもつのはカラオケだから、どうしても親指と人差し指でつまむように持ち、口の近くに当てる。その結果、姿勢が悪くなると同時に声が割れるなど聴き取りにくい。マイクは胸のあたりでしっかりホールドし、自分ではマイクを意識しないで相手に語りかけるように話をすることだ。

4.ミーティング・マネジメント力
 事業仕分けのとりまとめ役は、単なるその道の専門家だけで不十分だ。逆に専門家であるだけに、ミーティングはあらぬ方向に突っ走ってしまう。
 とりまとめ役は、 しっかりとミーティング・マネジメント力をもち、中立的な立場から生産的な事業仕分けの話し合いを実現する。

 事業仕分け人も仕分けられ人も、あるいは、とりまとめ役も、しっかりしたプレゼン力やミーティング・マネジメント力を身につけない限り、事業仕分けはまたぞろ茶番劇になってしまう。



提言(9):2009年10月5日

招致プレゼンに勝つためには「プレゼン戦略」を重視せよ!
〜2016オリンピック招致はプレゼン戦略のミスが敗因〜


 プレゼンは身振り手振りだけではない。前提としてプレゼン戦略が正しく立てられており、それに基づくシナリオが組み立てられていなければならない。
 今回、東京がオリンピック招致に失敗した原因は、プレゼン戦略のミスとそれに基づくシナリオにインパクトが欠如していたことが上げられる。
 今回のオリンピック招致活動の最終プレゼンに勝つためには、次の3つの戦略に基づいてシナリオを組み立てるべきであったと考えられる。


1. 投票直前のプレゼンは勝てる内容に絞り込むこと
2. 不利な立場でのプレゼンは相手のベネフィットを強く訴求すること
3. 浮動票を取り込むプレゼンは感動的であること


1. 投票直前のプレゼンは勝てる内容に絞り込むこと

 東京は2006年に東京都議会でオリンピック開催招致を決議した後、約4年間にわたって招致活動をおこなってきた。今回(日本時間:2009年10月3日)のファイナル・プレゼンは、その4年間の集大成だ。
 この投票直前におこなわれるプレゼンは、IOC委員の合意を獲得し投票行動に結びつけることが目的だ。東京という都市に注意を向けさせることでもなく、施設やアクセスに興味を持たせることでも、あるいは、開催方法を理解させることでもない。プレゼンの内容は、他と差別化された勝てる内容に絞り込んで、組み立てる必要がある。
 しかし、実際の東京のプレゼンは総花的であり、伝えたいことが、IOC委員にはよく理解されなかったのではないだろうか。東京のプレゼンは、「21世紀の若者のための五輪、嘉納次五郎氏から受け継がれるスポーツを通した教育の歴史、深刻化する環境問題への対策」まで非常に広範囲な内容であった。それに比べて、招致に勝利したリオデジャネイロの場合は、「南米の若者のために、五輪を新たな大陸にもたらして欲しい」というシンプルで明快なコンセプトであった。

2. 不利な立場でのプレゼンは相手のベネフィットを強く訴求すること

 今回のオリンピック招致活動では、東京は非常に不利な立場に立たされていた。たとえば、候補都市の中で市民の支持率が56%と候補国の中で最も低い。東京で開催すると北京オリンピック以降アジアに偏りすぎる。IOC委員の票を取るための外交力が不足している。開催者がやりたい内容ばかりで市民の視点がないとのIOC委員に評価されていた。東京に比べて他の開催地のコンセプトは明確であったなど。
 このような不利な立場でのプレゼンでは、余程インパクトがなければ、不利をはねのけて勝つことは難しい。そこで、他と差別化された内容を相手のベネフィットを切り口に強く訴求しなければならない。
 東京は環境問題を取り上げ、カーボン・マイナス計画で差別化した。プレゼンでは、この部分を強く前面に出し、それが、IOC委員や参加する選手たちに、どのようなベネフィットをもたらすか強く訴求すべきであった。

3. 浮動票を取り込むプレゼンは感動的であること

 過半数の票を獲得するまで投票が繰り返される方式は、接戦になった場合、浮動票をいかに取り込むかが勝敗を左右する。浮動票は、確固たる信念があるわけでもなく、その時の気持ちで投票する。
 そこで、浮動票を取り込むプレゼンは、論理的に理解させようとか、理性に訴えて説得しようとしても無理だ。浮動票は情緒的であるから、聴き手の感情に訴える感動的な内容を盛り込み、感性に訴えるプレゼンをおこなった方が、浮動票を取り込める可能性が高い。
 東京のプレゼンは、トレーニングの効果がありデリバリー(声の大きさや身振り手振りなど)は一定以上の水準にあった。しかしながら、プレゼンの内容自体が聴き手を感動させることはなかった。




提言(8):2007年9月10日

ITを活用した裁判員裁判−本来の目的を見失うな!

 
 今後、時代の流れとともに、ITを活用した裁判がおこなわれていくことになるだろう。しかしながら、ITは手段であり、本来の裁判員裁判の目的を見失わないことが重要である。

 ITなどのような文明の利器は、常に次の3つ方向性がある。1つ目は、人々の生活を豊かにする。2つ目は、人々を怠惰に陥れる。そして、3つ目は、人々に危害を加える。


 裁判員裁判において、ITを活用することにより、次の3点が実現できるなら、ITは人々の生活を豊かにしてくれるだろう。たとえば、ITが、従来、時間がかかっていた情報の収集や蓄積を省力化することができれば、裁判を迅速かつ正確におこなうことができる。また、ITが専門家と一般人との情報格差をなくすことに寄与するなら、市民にも分かりやすい裁判が実現する。さらには、裁判員が容易に情報を閲覧・検索し分析することができるなら、裁判員はより正しい判断をすることができる。

 しかしながら、法曹三者がITに過度に依存し始めると、人間本来がもっている思考力や表現力などの能力を衰退させてしまう。もし、ITが検事や弁護人の法廷活動を支援し始めると、人間の欲望に歯止めがきかなくなる可能性がある。たとえば、冒頭陳述、尋問、弁論、論告などの高度な専用アプリケーションやテンプレートが出現するかもしれない。そうなると、ITは、事件の情報を入力すれば、法律と判例を参照し自動的に判決を決定する判決マシンになってしまう。そこには、怠惰な法曹三者がITの奴隷になっている姿が見える。

 さらに、デフォルメされたフル・アニメーションの動画で犯行を再現したり、法廷での一挙手一投足がデジタル映像で記録され検索されたり、あるいは、意図的に加工された情報がまかり通ったりすると、検察側と弁護側はITリテラシーの競争になり、本来の法廷活動とかけ離れたところで、裁判の行方が決まってしまう。そこには、ITを使うことが目的化し、人間の常識や感性は無視され、危険きわまりない世界が繰り広げられる。

 裁判は、人間のどろどろした営みのひとつだ。ITが人を裁くのではなく、本来の裁判の目的に沿って法廷活動がおこなわれなければならない。



提言(7):2007年7月2日

党首討論、プレゼン力はどちらが上?−政治家にプレゼン力を!

 
 2007年7月1日、民間団体主催による安倍総理と民主党小沢代表の党首討論がおこなわれた。 最初に、安倍総理がプレゼンテーションをおこない、次に、小沢代表、そして、最後に双方の質疑応答という手順でおこなわれた。

 両者のプレゼンテーションを次の3点から評価した。
 その結果、プレゼンテーションでは安倍総理の方が一枚上手のようだ。

1.イメージ戦略の評価
 民間団体主催の党首討論であるが故か、安倍総理はボタンダウンのシャツにジャケットを着用しリラックスな雰囲気を醸し出した。また、ボディ・ラングエッジを活用しながら話を展開し、新しいタイプの政治家をイメージづけることに成功したようだ。
  一方、小沢代表はスーツにネクタイというフォーマルな服装で現れ、演台に手をついて、原稿に目をやりながら話をするといった古いタイプの政治家のイメージを与えてしまった。
 また、安倍総理のプレゼンテーションを聴く小沢代表の態度は、話し手の方を見ることもなく、前方の床を見つめていることが多かった。逆に、安倍部総理は、終始、小沢代表の方を向いてプレゼンテーションを真剣に聴いており、余裕ある態度を見せた。

2.シナリオの評価

 安倍総理のシナリオは3部構成でコンパクトにまとめられており、聴き手にとって理解しやすく記憶に残った。3部構成の中身は、「大項目T:信頼できる年金制度の構築、大項目U:教育の再生、大項目V:主張する外交」であった。また、シナリオの中項目以下についても、全体像を示した後、細部を語るといったプレゼンテーションのセオリー通りに話を展開していた。
 一方、小沢代表はシナリオの全体像や構造が見えにくく、聴き手にとってみれば局面だけの理解に留まり、全体として何を主張したいのか分かりにくかったのではないだろうか。ただ、「民の竈(かまど)から煙が上がっているか、ご覧になり租税の減免を判断された・・・」と仁徳天皇の例を引き合いに出した点は評価できる。

3.デリバリー(伝達)技術の評価

  安倍総理は、司会者からの紹介の後、余裕を見せながら柔和な表情で現れた。演台に近づくも、演台に手をつかず距離を置きながら話し始めた。演台の原稿を見ることなく、手ぶらで語りかけるプレゼンテーションであった。「優先すべき課題は3つあります。1つ目は、信頼できる年金制度の構築。2つ目は・・・」など数字を表すイラストレーション(ボディ・ラングエッジの一種)を使い、また、強調すべき点は握り拳を示したり、手を大きく広げるエンブレム(同上)を使うなど、巧みに非言語メッセージを活用していた。ただ、話の文章は短くまとまっているものの、若干、早口であることと話の切れ目に間がなく、聴き手を惹きつけるまでには至らなかった。
 一方、小沢代表は、演台に原稿を置き、両手をついてうつむき加減に話し始めた。聴き手とのアイ・コンタクトの頻度も少なく、全体的にダイナミックさに欠けるプレゼンテーションであった。

 決定的な差は、原稿を見ずに手ぶらでボディラングエッジを使い、聴き手にアイ・コンタクトをしながらプレゼンテーションをする安倍総理、頻繁に演台の原稿に目をやり、ボディ・ラングエッジもアイ・コンタクトも少ない小沢代表。
 政治家としての手腕はともかく、プレゼンテーションでは安倍総理の方が一枚上手のようだ。

 政治家にとって、プレゼン力は必須科目。いくら政策的に優れていても、それを国民に伝える力がなければ意味がない。



提言(6):2007年4月16日

裁判員制度−評議に「ミーティング・マネジメント」の手法を!

 
 裁判員制度の評議に関して、致命的な3つの問題があり、それを解決するためには、「ミーティング・マネジメント」の手法を導入することを提言する。

  2009年までに開始される裁判員制度に向けて、全国各地で模擬裁判が実施されている。この制度では、一般の人たちが裁判員として、裁判官と伴に刑事裁判の公判に出席し、証人尋問、被告人質問などの証拠調べや、検察官・弁護人の弁論(プレゼンテーション)を聴くことになる。また、 その後、評議においては裁判官と対等の立場で議論をおこない、被告人が有罪か無罪か、また、有罪の場合は、どの程度の量刑が適切か決めることになる。

 評議では、裁判長が進行役を務め、判決は多数決で決める(アメリカの陪審制では、判決は全員一致が原則、フランスの参審制では被告に不利な判断の場合は3分の2以上の多数決)。裁判長1名、裁判官2名、裁判員6名、合計で9名が評議に関わるが、もし、評議の中で意見が分かれ、4対4の同数になった場合、最終的には裁判長が一票を投じて決する。

 しかしながら、これまでの模擬裁判を観察していると、この評議における議論の進め方や手法が確立されておらず、裁判長の力量に任されている。これでは、評議が正しくマネジメントされているかどうか、はなはだ心許ない。評議そのものが属人的な運営であれば、早晩、大きな問題に発展するだろう。

問題(1)評議の構造的な問題

 現在、模擬裁判で行われている評議は、構造的な問題がある。たとえば、評議の場においては、裁判長が3種類のパワーをもつことになる。1つ目は一票を投じるパワー。2つ目は評議を運営するパワー。3つ目は”裁判長”という目に見えない権威としてのパワー。この3つのパワーをもち意図的に行使するなら、当然ながら、評議を支配し自らの結論に誘導することができる。

 一般人は、法律の知識がなく、特殊なケースを除いて裁判については経験もなく全くの素人である。裁判員制度において裁判員は、有罪、無罪、量刑は、常識をもって判断するとされてはいる。しかしながら、それは建前上であり、現実には裁判長および裁判官の発言に流されるのは想像に難くない。事実、模擬裁判での評議で、「裁判長が誘導し過ぎている」という声もある。

 一般人からなる裁判員が自由に発言できる環境を作るためには、運営役である裁判長は中立的でなければならない。しかしながら、裁判長は一票を投じる権限をもっており、かつ、評議を運営する権限も有している。このような構造的な問題があれば、裁判長の結論に誘導されやすい。

問題(2) 発言を指名し誘導する問題

 裁判長が評議を運営する権限をもつと、意見を求める際に、特定の裁判員を指名することができる。実際の評議でみられたケースだが、裁判長が被告人は有罪であるとの心証をもっているとしよう。そして、同様の意見をもっていると思われる裁判員に、「○○さん、被告人の動機について、どのように思いますか?」と質問をする。当然ながら、指名された裁判員は、被告人の動機は明白である旨、発言をする。

 そして、無罪かもしれないと思っている裁判員に、「□□さん、○○さんは、このような意見ですが、反論はありますか?」と質問を投げかける。ここで、反論ができる一般人は非常に希だ。日本文化では、他人に対して明示的に反論をする価値観はなく、曖昧な表現をする。「そうかもしれませんが・・・」と発言し対立を避ける。たとえ、反論をしたとしても、裁判長が「なぜ、そう思いますか?」、「証拠はありますか?」などと質問責めにし、反論をつぶすこともできる。

 このように、裁判長は裁判員を指名し発言を求めることにより、評議の場において意図的な意見形成を作り上げることができる。本来、創造的な議論をするためには、特定の人物を指名し発言を求めてはいけない。常に、「みなさん、△△について意見はありますか?」とオープンに投げかけることが必要だ。

問題(3)裁判長から一方通行の議論

 基本的に裁判員同士は、コンテクストが低い関係(あまり良く知らない同士)で評議に臨む。そうなると、議論は裁判長vs裁判員の構造になる。つまり、裁判長からの一方的な投げかけに対して、それに答える形で議論が進行する。このような評議であれば、裁判長が恣意的にある結論に集約することは、赤子の手をひねるより簡単だ。

 法律の専門家であり、また、長年の裁判経験を積み、法衣を着た裁判長および裁判官に対して、一般人である裁判員が反対の意見を表明したり、議論の進行を提案したりすることは非常に難しい。

  裁判長vs裁判員でなく、裁判員同士の議論が繰り広げられ、その中から個々の裁判員が自らの意見を形成する。これが本来の裁判員制度の主旨のはずだ。そのためには、運営役は中立的な立場に立ち、裁判員同士の議論を活性化するよう評議をマネジメントしなければならない。


 現在、繰り広げられている模擬裁判における評議は、構造的な欠陥があり、裁判長の属人的な資質や能力、考え方に左右される。この問題を解決するには、評議に「ミーティング・マネジメント」の手法を導入し、裁判員制度の本来の主旨を実現することだ。


提言(5):2006年6月6日

小学校段階では英語教育ではなくプレゼンテーション教育を!


 中央教育審議会の教育課程部会が、2006年2月に「審議経過報告」を出した。そのなかで、「小学校段階における英語教育を充実する必要がある」と報告した。
 果たして、小学生に英語教育が必要だろうか。

 小学生に英語教育を実施するよりも、まず日本語によるプレゼンテーション教育を実施する方が先決だ。

1.言語能力とコミュニケーション力の違い

 中央教育審議会は英語教育を必要とする背景を、「グローバル化の進展にともない、英語によるコミュニケーション機会が増えることが予想される。しかしながら、日本人の英語運用能力が国際的にみて十分ではない」、としている。
※中教審の報告では、“言語運用能力”と表現しているが、この“運用”の意味が不明であった。報告の主旨は英語教育の実施と記述しているので、ここでは、“言語能力”と理解する。

 この報告では、非常に重要な視点が欠落している。それは、言語能力とコミュニケーション力とは関連はあるが別のものであること。たとえば、日本人で日本語が堪能な人でも、コミュニケーション力が未熟な人はたくさんいる。うまく相手に伝えることができないとか、人前に立つとアガって言いたいことが言えないとか、人と議論をするのがどうも苦手など。これらは言葉の問題ではない。コミュニケーション力の問題だ。

 自分の意見や考え方を伝達するには、プレゼンテーション力が必要になる。たとえば、相手のことを知る、伝える目的を明確にする、伝える場所や環境を考慮する。また、結論から伝える、話を論理的に構成する、感情を表現する。さらに、ボディ・ラングエッジを使う、目線を合わせて伝える、強弱をつける、熱意を込めて気持ちを伝えるなど。このような非言語の力がなければ、いくら言語能力に長けていても、相手には伝わらない。

 日本はコンテクストが高い文化だけに、これまでコミュニケーション力を軽視してきた。今後は、コンテクストの低いグローバル社会において、前提としてのプレゼンテーション力がなければ、いくら英語力を高めたとしても、異文化の人たちと円滑なコミュニケーションは図れない。小学生の段階から英語教育を実施するより、日本語によるプレゼンテーション教育をおこなう方が先決だ。
※コンテクスト=文脈
※高いコンテクスト=均質な価値観や行動様式の人たちで構成される文化
※低いコンテクスト=多様な価値観や行動様式がバラバラの人たちで構成される文化

2.プレゼンテーション力習熟度の違い

 また、報告書では、他のEUやフランス、アジア諸国(中国、韓国、近隣アジア諸国)でも小学校段階において、英語教育を実施する国が増えてきている、と記述している。よって、日本においても小学生に対して英語教育を実施すべきとの論法だ。ここでも、外国にならえの悪癖が顔を出す。

 上記の国や地域においては、子供の頃から自然とプレゼンテーションの力が身についていく。たとえば、コンテクストが低い文化は考え方がバラバラなだけに、言わなければ分かってもらえないとか、対立が前提だから自らの立場を表明しなければならないとか、右にならえではなく自分の意見をもって議論することが重要などと。

 しかし、コンテクストの高い日本では、言わなくても察してもらえる、物事を婉曲的に表現する方がいい、出る杭は打たれるなど、自分の意見や感情をストレートに表現しない。このような文化に育つ子供達は、残念ながらプレゼンテーション力は身につかない。コンテクストの違いによって、成長過程におけるプレンテーション力の習熟度が異なるわけだ。

 育つ環境の中で、自然とプレゼンテーション力が身についている子供達と、そうでない日本の子供達と同列に考えてはいけない。まず、日本の子供達はプレゼンテーション力を身につける。そして、それを前提に英語を学ぶ。そうすれば、異文化と接触した場合に、異文化の人たちと円滑にコミュニケートでき、そして、異文化を理解することができる。


3.病んだ子供達の問題解決が先決

 小学生の段階から英語学習をすべきとする論拠に、子供の頃から英語を学習すればマスターするのが早いとか、子供は異文化に抵抗感がないなどがある。これだけを取り上げて主張するなら、反論する余地はない。しかし、限られた時間の中で、何に優先度と重要度をつけるか。このような比較の中で議論すると、英語の学習は不必要といっても過言ではない。

 今の子供達に最も必要なものは、自己表現力を高めること。それは、英語運用力を高めることよりも、比較にならないぐらい優先度と重要度は高い。引きこもり、不登校、教室での立ち歩き、また家庭内暴力や犯罪、さらには、リストカットや自殺など、子供達は病んでいる。その原因は、子供達が正しく自己表現できないからだ。

 大人社会との関係において、子供達はストレスを抱え、そのストレスを周りに伝えることができずにいる。つまり、子供達はプレゼンテーションができず、エネルギーが有り余っている子供達は盛り場に行き外に向かって攻撃的になる。また、気持ちの優しい子供達は、自分の部屋に引きこもり、リストをカットし、自分に向かって攻撃的になる。

 子供達に、自らの考え方、意見、気持ちなどを、友人に、親に、大人達に表現できる力があれば、これらの問題は激減するだろう。少なくとも、子供達が表現することによって、周りとのコミュニケーションが始まる。コミュニケーションが図れれば、問題解決の糸口になる。それは、単に言語能力の問題ではない。家の子に限って…というのは、子供が親に向かってプレゼンテーションしていないからだ。
 
 このような病んだ子供達を放置して、それでも英語教育を優先すべきだろうか。




提言(4):2006年2月7日

子供に意見をもたせてプレゼンを!


 最近、多くの小学校、中学校、高校でプレゼンテーションの授業を始めている。子供の頃からコミュニケーションについて学習するのは、遅きに失した感はあるにせよ、非常に意義のあることだ。
 言語による自己表現ができない子供たちは、ひきこもりや登校拒否、DV(家庭内暴力)やリストカットなどの問題を引き起こす可能性が高い。言語での表現の代わりに、これらの方法を用いて自らの内面を周りに発信しようとする。
  子供たちが、言語による思考力とプレゼンテーション力を身に付けることは、このような社会的な問題を解決する
一助となる。

 ところが、学校で教えるプレゼンテーションは、残念ながら多くの問題を含んでいる。

1.プレゼンテーションのテーマ

  学校側が子供たちに与えるプレゼンテーションのテーマは、どうしても大人が好きな省エネ、省資源、リサイクル、エコなど地球環境問題や社会問題を取り上げる。もちろん、それらも重要だが、もっと子供たちの私生活に根ざしたテーマからスタートすべきだろう。自分たちが自分たちの言葉で考え語れるプレゼンテーションのテーマを、自分たちで見つけ出ださせた方が良い。

2.プレゼンテーションのための情報収集

 環境問題などの大きなテーマを与えると、いきおい多くの情報を集めなければならない。子供たちは、インターネットにとりついて、検索エンジンにキーワードを放り込む。その結果、膨大なプリントアウトされた情報と格闘する。当然、効率的なリサーチの技術を身に付けていないから、行き当たりばったりの情報収集になる。闇雲に集めると、集めた情報が価値あるものか、信頼性の高いものか、判断することは難しい。非常に危なっかしいことになる。

3.意見のないプレゼンテーション

 それでも、子供たちは情報を集めると、それを整理して、プレゼンテーションのストーリーをつくる。もちろん、情報を整理する考え方や技術はないから、事実をかき集めて、それを発表することに終始する。残念ながら、そこには子供たちの意見はない。単に事実を事実として伝達するだけだ。子供たちに「プレゼンテーションをして良かったと思うのは、どんなときか?」と質問すると、「友達が知らないことを伝えることができたとき」という答えが返ってくる。物知りの優越感と紙一重。子供たちのプレゼンテーションは、あくまでも、知識を伝達するだけで、自ら意見を述べることはない。

4.プレゼンテーションのお絵かき

 授業では、プレゼンテーション準備の大切さとそのステップを教える。情報を集め、それを整理し、そして、画用紙に絵を描いてストーリーを作る。そして、実際のプレゼンテーションでは、その画用紙を紙芝居のように繰りながら話をすすめる。ここで問題になるのが、画用紙のビジュアルに頼ってストーリーを展開すること。言語を使って描写しなくても、ビジュアルを見せれば伝わる。効率的ではあるが、このようなプレゼンテーションを練習させると、言語能力の発達を阻害する可能性がある。多くの子供たちは、「プレゼンテーション=お絵かき」と思っている。もちろん、プレゼンテーションにビジュアルを活用することは重要だ。しかし、ビジュアルはあくまでも補助にしかすぎない。

 子供たちが自らの意志でテーマを決め、情報を集め整理する方法を身に付け、情報を解釈し、自らの意見をもち、そして、言語と思考力を使ってストーリーを組み立てる。これがプレゼンテーションの基本だ。お絵かきは、その後でもいい。

 ちなみに、 多くの大人も、「プレゼン=スライド作り」と誤解をしているが・・・。
 




提言(3):2006年2月2日

学校の教室を改造しよう!


 多くの小学校、中学校、高校の教室は図のようなレイアウトだ。

 教室の正面に黒板があり、少し高くなった教壇があり、その上に教卓がある。黒板の上には時計が掛けられてある。出入り口は前と後ろの2カ所あり、机と椅子はスクール形式で並んでいる。
 このスタイルは学校だけでなく、企業の研修室なども同じような造りになっている。

 これは、果たして生徒と教師が円滑なコミュニケーションを図れるレイアウトだろうか。残念ながら、最悪のレイアウトと言わざるをえない。

問題点を列挙しよう。

このレイアウトだと・・・、
1.教師が一方的に知識を付与する「講義形式」にならざるを得ない(情報の時代にもかかわらず、教室で知識を教えるだけだから、学校の価値が下がっている
2.生徒同士のコミュニケーションが図れない(隣同士の私語には最適だが・・・)
3.教師は教壇の上に立って”教えてやる”と権威を振りかざすことになる(明治時代の名残りか・・・)
4.生徒と教師の間にある教卓がコミュニケーションを阻害する(教師が感情的になったときに、近くの物を
叩くためにあるのかも・・・)
5.教師とそれぞれの生徒とは不等距離にあり、特に最後列の生徒とはコミュニケーションが図れない(後ろで隠れて弁当を食べることができる・・・)
6.時計は生徒からは見えるが、教師からは見えない(生徒は時間を気にして、集中力が阻害される
7.教壇近くの出入り口から、間違って人が入ってくると(よくあるケース)、その瞬間、生徒の集中力が切れる(「関係者以外立ち入り禁止」と貼り紙をしても、自分は関係者だと思っているから、効果はない)
8 .左側の生徒は、ボーッと窓の外をみてよそ見をする(よそ見をするなっ、と注意しても意味がない)
9.大学の階段教室は、大量の学生に知識を一方的に与えるのには最適かもしれない。しかし、意見を闘わせる中から学ぶディスカッションをおこなうことは不可能。(知識を得るだけなら、大学に行かなくてもいいのでは?)
などなど・・・。

 このような教室は、生徒の集中力を切らし、教師と生徒あるいは生徒間の円滑なコミュニケーションを阻害する不適切なレイアウトだ。うがった見方をすれば、「教師の権威を保つためのレイアウト」といったところか。
 全国にある学校の教室、企業の研修室などは、プレゼンテーションの理論に基づいて、速やかに教室を改造すべきだ。

 最後に付け加えるなら、企業のプレゼンテーション・ルームも似たり寄ったり。名前は”プレゼンテーション・ルーム”と呼ばれているが、高価なAV機器が備え付けられているだけ、というのが多い。あたかも機器メーカーの陰謀に嵌められたごとくに・・・。



提言(2):2005年12月28日

裁判員制度−プレゼンの基礎力を身につける!


 平成21年5月までに、裁判員制度が始まる。
 裁判員制度とは、国民の中から選ばれた6名が裁判員として、3名の裁判官とともに、刑事裁判に参加し、被告人が有罪か無罪か、どのような刑にするかを決める制度。

1.表層的

 そこで、だれにも分かりやすい刑事裁判を目指して、検察官は、被告人・弁護人に対して、ビジュアルを使ったプレゼンテーションをおこなうようだ。ところが、ここしばらくの動きをみていると、どうもプレゼンテーションを表層的に捉えているように思える。関係者が重視しているのは、たとえば、プレゼン・ソフトの操作方法とか、身振りや手振り、声の出し方など。これでは、またぞろ、悪い見本のようなプレゼンテーションがまかり通る。

2.基礎力

 関係者には、プレゼンテーションの基礎力を身につけていただきたい。たとえば、「プレゼンテーションの戦略」を学び、聴き手である裁判員や裁判官、被告人や弁護人を分析し、目的である争点を分析し、そして、裁判所の環境やレイアウト、設備や備品を分析する。そして、一般人も含む混合した聴き手に対して、どのような「シナリオを構築する」か、また、事実(証拠)の提示方法やその解釈、さらには、聴き手への訴求力と説得力のあるストーリー展開など。プレゼン・ソフトや身振り手振りは、これらの基礎力を身につけてからでも遅くない。

3. 文書から口頭プレゼンへ

 これまでは文書中心であったが、この裁判員制度が始まると、口頭でのプレゼンが重要になる。従来の文書におけるシナリオと口頭プレゼンのシナリオは決定的に異なる。しかし、どうもスライドに文章を書き、それを読み上げるプレゼンをするかもしれない。そうなると、また、悪夢のプレゼンがよみがえる。スライド作りに精を出す前に、プレゼンの戦略やシナリオの基礎をしっかり学習してもらいたい。

 ビジネスに携わる人たちは、これまで多くの失敗を繰り返し、そして、プレゼンを進化させてきた。法曹界も同じ間違いを繰り返さないでいただきたい。





提言(1):2005年12月1日

決定できる双方向のプレゼンテーションを!


 プレゼンテーションといえば、”聴き手に一方的に話をする”というイメージがある。もし、あなたが「プレゼンテーションが終了した時点で、聴き手に意思決定を求めたい」とか、「聴き手の理解度をより高めたい」とか、あるいは、「聴き手を活性化したい」などと考えているなら、双方向のプレゼンテーションをしよう

1.検討する・・・?

 よくある話だが、プレゼンテーションをおこなった後、聴き手が「じゃ、検討しよう」と言う。「検討してもらえるんだ」と喜んではいけない。”検討する”とは、”決定したくない”という意味だ。それなのに、話し手は、わざわざ「ご検討、よろしくお願いします」と締めくくる。それでは、「どうぞ、今、決めなくてもいいです。意思決定は引き延ばしていただいて結構です」と言っているようなものだ。「ご検討ください」と言うかわりに、「ご決定ください」と言おう。

2.議論し決定する

 プレゼンテーションの後、「よし、それでいこう!」と聴き手の意思決定を求めるなら、 一方的なプレゼンテーションをしてはいけない。聴き手と双方向のプレゼンテーションをおこないながら、あなたが伝えたいことを伝達する。あなたが聴き手に質問を投げかける。聴き手も不明点を質問する。お互いに反論があれば反論し合う。そして、インタラクションをとりながら、最終決定へ導く。聴き手の立場に立てば分かることだが、じっと一方的な話を聴き、それで、決定することができるだろうか。当然、答えは「ノー」だ。不明点を糺し、自らの意見を述べ、反論をし合い、議論する。このようなプロセスがなければ意思決定はできない。

3.インタラクティブ・プレゼンテーション

 双方向のプレゼンテーションをおこなうには、話し手であるあなたから質問を投げかけてみることだ。たとえば、「・・・については、どのようにお考えですか?」とか、「何故、これが重要だと思いますか?」とか、「では、どのようにすれば良いでしょうか?」などと。そうすれば、聴き手と双方向のプレゼンテーションが始まる。それに、聴き手からの質問は、その都度答えていこう。「質問は後で・・・」というのは、「ごちゃごちゃ言わずに、話を聴け!」と強権を発動しているようなもの。話し手の傲慢だ。聴き手からの質問は、その都度対応し、聴き手の理解を積み上げていく。そうすれば、プレゼンテーションの最後に、「よし、それで行こう」と決定する。

 もし、あなたがシーンと静まり返った聴き手にプレゼンテーションをしたくないなら、質問を投げかけてみよう。「・・・について、どう思いますか?」と。双方向のプレゼンテーションの始まりだ。そうすれば、 聴き手は目を輝かせて、あなたのプレゼンテーションにのめり込んでいく。

※双方向のプレゼンテーションの参考書籍:『戦略的プレゼンテーションの技術』